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  2010年
目次:
    事務局からのお願い
    キャンパスの四季<本校建学のルーツを探して> 
     中1の授業の内容が朝日新聞で紹介されました
    キャンパスの四季<キャンパスの秋>
    キャンパスの四季<稲刈り>
     キャンパスの四季<曼珠沙華と水泳プール>
     キャンパスの四季<夏休み>
     事務局夏休みのお知らせ
    キャンパスの四季<体育館前の泰山木(木蓮科)> 
    キャンパスの四季<田植え>
    キャンパスの四季<水田〜代掻き始まる>
    キャンパスの四季<ケルネル水田>
     キャンパスの四季<駒場野公園拡張部>
     キャンパスの四季<雪の降った翌朝の編集会議>
    2009若葉会会員名簿が発行されました。
    キャンパスの四季<平成22年度入学式>
     キャンパスの四季<桜咲く頃の淡島通り地蔵尊>
     キャンパスの四季<こまばエミナース>
    キャンパスの四季<春休み> 
    キャンパスの四季<中学校卒業式> 
    キャンパスの四季<花桃>
    駒場散策マップ



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 事務局からのお願い

年末年始にかけてご同期の皆さまでお集まりの機会があるかと思います。
各期の同期会またはOB会を開催されましたら、当日のご様子とお写真(事前にご参加の皆さんの了解をいただいて下さい)を添えて、会報&ホームページに奮ってご投稿下さい。
ご不明な点は若葉会事務局までお問い合わせ下さい。
どうぞ宜しくお願いいたします。

平成22年12月8日 若葉会事務局


     

 


 キャンパスの四季<本校建学のルーツを探して>

本校の最初の入学式は昭和22年5月1日とのことです。
そのことは「二十周年記念誌」、「創立三十周年記念誌」に故丸尾先生の筆により詳しく書かれています。

初代校長は七沢甚喜(じんき)先生であり、七沢先生は文部省社会教育官として教育行政に通じておられると同時に、東京農業教育専門学校の校長でもあられたとのことです。

この七沢先生を支えたのが岡 言智(げんち)先生と言われています。
岡先生は東京農業教育専門学校の首席教授であり、東京帝国大学インド哲学科にて仏教を学ばれた学徒であり、同時に甲州塩山放光寺の住職でもあられました。

塩山の放光寺は恵林寺と並んで、武田信玄ゆかりのお寺で長い歴史を持っています。

11月24日(水)私は放光寺を訪ね、岡先生のお墓を案内して頂きました。
岡先生のお墓は寺の歴代の住職の墓の中にありました。

案内は、本校二期生清雲俊元氏のご令息がして下さいました。
故澤登岩尾先生もここに眠っておられます。

丸尾先生の回想録には次のように書かれています。

七沢校長や岡主事の建学の精神は、野性的で、根性のたくましい、規格品ではない人物を養成することを目途とするものであった。岡先生は晩年、病床で次のように語っておられる。

「私が建学の方針として考えたのは、秀才が入学するのは望ましいのですが、主知主義的で人間味のない秀才よりは、むしろ頭は悪くても表裏のない、悪戯をするのでも先生の前で同じように悪戯できる人間であって欲しいのです。(この点、東大の学生より私大の学生の方が親しみを感じます。)

どうか、全人格的な円満な人間であって欲しいのです。また、附属の生徒の誇りは持つべきですが特権意識はすてなければならない。在任中、制服・制帽をつくれという声がありましたが、わたくしはそのような意味で反対したのです。内容豊かな人間をつくる、これを建学の理想としていました。」
(昭和32年12月15日発行、「駒場会報」10周年特集号所載) 

私は永年、岡先生が何を目指して本校の創設に当たられたのかを知りませんでしたが、この度、塩山を訪ね、信玄ゆかりの、恵林寺とこの放光寺を訪ね、岡先生の墓前に立って、本構創設の心に少し触れることができました。

晩秋の山梨県塩山。晩秋の母校。本校の創設(はじめ)を考えました。


 
      晩秋の放光寺境内       岡 言智先生の墓所(歴代住職の墓の中にあります)

 
 言智 三十一世 の文字が読めます             お隣にある恵林寺の晩秋
  (澤登先生の墓所も近くにあります)       恵林寺には武田信玄の墓があります。
                   またここは、織田信長に攻められて、火を付けられたとき
           「心頭を滅却すれば、火もまた涼し」と喝破した快川和上のいたところです。



平成22年11月26日若葉会事務局 H.T

     

 

  中1の授業の内容が朝日新聞で紹介されました

朝日新聞11/27(土)夕刊の1面に「家庭科、熱い男子校」という記事で、中1のクラスで植村徹教諭による「仕事と生活の調和」をテーマとした授業について紹介されています。
植村教諭は5年前から家庭科を教えているとのことです。

朝日新聞Web
     http://www.asahi.com/national/update/1127/TKY201011270129.html


     

 
 キャンパスの四季<キャンパスの秋>

晩秋のキャンパスを写真にしました。
母校は今、文化祭も終わって、二学期の授業の仕上げに入っているようです。
今月末には、附属としての教育研究会が行われ、それが終わるといよいよ期末考査です。

キャンパスに繰り広げられた一瞬の秋をお送りします。

  
   
正門から見た校舎 欅が色づいています         正門から見た中学校舎


  
 「朝日の広場」(中学の集会場)〜「悪童」達の夢の跡  
                 グラウンドの南端(この後ろの建物は公務員住宅と思われます)



  
 
 グラウンド北端(理科室の前です) 
              旧ボイラー室(昔はここで重油を燃やしてスチーム暖房をしていました)
 


  
 
1号館(管理棟)と高校校舎の間               正門と守衛室
 (大阪教育大学附属小学校で悲しい事故があってから守衛さんが守衛室にいるようになりました。)
 私は出入りに敬礼をしています


H22年11月18日 若葉会事務局 H.T


     

 
 キャンパスの四季<稲刈り>

6月5日(土)に田植えが行われ、四ヶ月余りが経ったことになります。
稲が四ヶ月で収穫できることを知ると、気候条件がそろっていれば、三毛作も可能と言うことが判ります。

日本ではほとんどの地域が一毛作ですが、母校の場合は、苗を早くより温室で作っています。

今日は午前中に中一(64期生)、午後は高一(61期生)が稲刈りをしました。
中一の稲刈りを取材しました。

指導している先生方の「食べ物なんだから大切に扱いなさい!!」とう指導の声が田圃で響いていましたが稲の穂を実際に触ってみると、かなり雀に食われているように思いました。

水田も大分湿っていて、稲刈り時の排水と言うことについてもう少し考えた方がよいのではないかと思われました。

ともあれ、中一120名余り、高一160名余り、計280名余りで展開する農作業ですので、経済効率ではなく、教育的価値に基づいて行われているわけでございます。

今日刈った稲は、母校の稲架(はさ)に掛けて干して、11月末頃、脱穀をいたします。
脱穀した餅米(モチミドリ)は、お赤飯に加工して、卒業式・入学式に振る舞われます。

  
       稲刈り中の中一       母校の稲を守るために立つかかし
                     (中一のお母様方の作品です)
       
(かかしが立ち始めたのが雀たちの活動より少し遅かったかも知れません) 

          
             ケルネル田圃の説明版


平成22年10月16日若葉会事務局 H.T


     

 

 キャンパスの四季<曼珠沙華の咲く頃と水泳プール>

私達のキャンパスには曼珠沙華(彼岸花)は無いようでした。
彼岸花は一名曼珠沙華ともいい,仏典では「慶事の起こる前に天から降る赤い花」とのこと。

日本には多分有史以前に稲作文化と共に中国から入り、一株一株根から増えていったのでは無いかと書かれています。

「路のへの 壱師の花の 灼然く 人皆知りぬ 我が恋妻は」(万葉集)の ’壱師の花’(いちしのはな) はあでやかに咲く彼岸花のことではないかと言われています。

私達のキャンパスにないので、駅からキャンパスへ至る「駒場野公園」に咲く「彼岸花」の写真を撮りました。

所で、この曼珠沙華を求めてキャンパスを歩いていたら、満面に水をたたえるプールに出くわしました。

このプールなのですが、学校に取材したところでは、建設後約半世紀にもなり、このままでは ’跡的価値’すら持ちかねないので、様々な努力の末、 新しいプールを建設することが決まり、建設地である’サブグラウンド’(テニスコート)の調査をしたところ’本物の遺跡’が出てきたので、目下調査中とのことです。

れっきとした縄文時代の炉が出てきたとのことです。確かに私達のキャンパスは南に目黒川を望む高台にあり、縄文人も好んでここに住んだものと思われます。
縄文の歴史の上にあるキャンパスであることに思い至りました。


  
      駒場野公園の曼珠沙華     今水をたたえているプール 

  
遺跡の調査中(サブグラウンド)ここに新しいプールが建設される予定とのこと

平成22年9月25日 若葉会事務局 H.T


      

 

 キャンパスの四季<夏休み>

日本中の学校が夏休みで、中にはもう夏休みを終えて学校が始まったところもあるようですが、母校は静かな夏休みの中にありました。

若葉会の事務局もしばしの夏休みを取らせて頂きました。8/12(木)〜8/18(水)。
この間に悲しい知らせが二つ飛び込んできました。

8月14日(土)の昭和31年から平成6年まで、38年にわたり本校の体育科教諭として
勤められたF先生が亡くなられました。F先生はバレーボール部の顧問でもあり、HR担任もかなりやっておられたので、関係者がなるべく漏れることのないように連絡を回して頂いていました。
若葉会からは生花をお贈りしました。

もう一つ、昭和29年から32年まで3年間、英語科教諭として勤められたM先生が8月10日(火)に亡くなっておられました。お嬢様が何回か若葉会事務局の方にお電話をなさったとのことでしたが、たまたま夏休み中であったため、ご連絡を確認したのが8月20日(金)でした。

葬儀も終わっていましたが、専任教諭としてお勤めになっておられましたので、
若葉会の名前でご自宅にお花をお届けいたしました。

学校は今夏休みで、クラブ活動の生徒と若干の先生方しか来ておられませんが、校庭には花が咲いていました。

順番に

   
正門を入ったロータリー正面の花たち    1号館会議室裏のサルスベリ
 正面ピロティーの柱の前 アベリア 
(日本には中国から大正時代に入ったもののようで強い香りがあります。花期はとても長いです)

            
                右手は2号館、高校の教室 

日本には中国から江戸時代に入ったもののようで、樹皮がつるつるしていますので、サルスベリとの名前が付きましたが、猿はこの木を上手に登るとのことです。
中国では古く長安の都の宮廷に植えられていたとのことです。
花言葉は、雄弁、愛敬、活動、世話好きとのこと。
本校の卒業生としてもあやかりたいところでございます。

二人の旧師を失って悲しい時でしたが、花が美しく咲いてくれていました。


平成22年8月27日 若葉会事務局 H.T


     

 
  事務局夏休みのお知らせ

  8月12日(木)から18日(水)の一週間を夏休みとさせていただきます。
   休み中は留守番電話、FAX、メールにてご用件を伺います。
   休み明けにこちらからご連絡をさせていただきます。

   どうぞよろしくお願いいたします。

                            (若葉会事務局)


    

 
 キャンパスの四季<体育館前の泰山木(木蓮科)>

体育館前の泰山木(木蓮科)

7月7日(水)事務局会議がありました。
少し早めに着きましたのでキャンパスを歩きました。
化学教室前の鈴掛の木が殊の外大きくなって心地よい日影を作ってくれていました。

樹木は三階建ての校舎よりも高くなって、心休まる空間を作ってくれていました。

体育館に近づいたとき、一本の木に白い花がいくつも咲いていました。

この木には思い出があります。

私が筑駒に英語の教師として勤め始めさせていただいたとき英語科にK先生という素敵な方がおられました。

お授業は休講がかなりおありだったようですが、本校の生徒が優秀であったためにその影響が あまりでなかったのかも知れません。
(保護者の方々はどんなにか心配しておられたかも知れませんが・・・)

このK先生は本当に’粋な’方で、着任早々の年若き教師である私を良く’飲みに’誘ってくださいました。
ほとんど毎晩と言うくらい先生の’飲んでおられる’ところから、お電話が来るのでした。

先生は楽しげに会話を弾ませ、終わりには必ずそこにあるピアノを弾いては人々を喜ばせていました。
先生は本当に幸せそうにピアノを弾いていました。

所で、ある時7月に入った頃、大勢の欧米系の女性のお客様が本校に来られて校内を案内いたしました。

その時、外国人の女性のお客様達がこの木と花を目に留められました。

K先生はつかつかとその木に近づき、真っ白な花を一つ取って女性のお客様に手渡しました。
その時この木の名前が Magnolia であると誰かが言ったのを覚えています。

Magnolia は木蓮ですが、これは白木蓮と言うことになるのでしょうか。
それにしても本校の体育館の前に7月に咲く’白木蓮’の花があるとは驚きでした。
事務局を担当していただいているYさんから、「これは木蓮科ですが、泰山木がよろしいでしょう」とおしえていただきました。確かに香りとか季節は泰山木がぴったりと思います。 


 


この木の根本に小さな石碑があって、「昭和46年度中学・高等学校卒業生寄贈」と刻まれていました。
年度から推察すると、高校は第19期生、中学は22期生と思われます。

花の匂いをかいでみますと、クチナシよりもさらに甘い香りがしました。

男子校にこの木を贈った人たちは、この木の花言葉が「前途洋々」であることに思いをはせ’快き香りを放て、そして前途洋々たれ’との想いを込めたものかと思いました。


平成22年7月12日 若葉会事務局 H.T


     

 
 キャンパスの四季<田植え>

田植え

今年も母校の田植えが終わりました。
明治11(1878)年駒場農学校が開校していますから、少なくとも132回目の田植えとなります。

この年明治天皇をお迎えして開校式典を挙げていますので、少なくともその数年前からこの田圃が開墾されていたと考えられます。

田圃を開墾した人は上州富士見村(今は前橋市富士見町になりました)の篤農家、船津伝次平翁でした。

当時の水田は井の頭線もありませんからもっともっと大きかったと思われます。駒場東大前駅西口、丸賀蕎店の後ろの東京大学のグランドも当時の水田の一部であったと考えられます。

今日、高1、中1の生徒達が植えた稲は、水田を統括しておられる I 先生によるとモチミドリ とのこと。
なにやら、マンゲツモチとモチミドリを年を変えて交互に植えているとのこと。
苗は学校の温室で作られています。(写真下)

           

所で苗はこの I 先生が収得した技術によって、一粒一粒が養分を染みこませられている 一つ一つのプセルの中に植えられています。(写真左下))
従って古来から日本の多くの農村で行われてきたような複数の苗を一箇所に植えて大きなものに育ってもらうというものではありません。
ですから田植えの終わったあとの田の面は閑散とさえみえます。(写真右下)


 


しかし収量は確実に上がっています。

中1、高1の生徒達の楽しい声が田の面に響いていました。


平成22年6月5日 若葉会事務局 H.T


    

 
 キャンパスの四季<水田〜代掻き始まる>

水田〜代掻き始まる

田植えをするには水田を整えなければなりません。
高1と中1の生徒達が掘り起こしたところを(耕起といいます)水を入れて、小型トラクターで何度も掻き混ぜ、面を鏡のようにする仕事が代掻きです。

母校はいつも6月第一週にこれを’お願いしている’ようです。
’お願いしている’と言いましたのは、耕起までは素人が出来ても、代掻きは素人では出来ないからです。

栃木県宇都宮市郊外の水田専業農家のS氏とF氏に来ていただいて、三日がかりで代掻きをするのです。
Sさんと私は20年以上のお付き合いになっております。
心を込めて代掻きを、家を離れて東京でやってくださるS氏とF氏に感謝しています。

代掻きが終わるとあとは田植えです。
今週の土曜日に母校の田植えが行われるとのことです。


平成22年6月2日 若葉会事務局 H.T



 
      代掻きをする姿            代掻きの終わった田圃


    

 
 キャンパスの四季<ケルネル水田>

ケルネル水田

目黒区立駒場小学校の校歌は次のような出だしになっています。

むらさきの春 星の秋 はがねの冬や 雲の夏・・・・・(草野心平作詞)
  
この ”むらさきの”春とは、田圃に咲くレンゲのことと思われます。
昔日本の水田の至る所に咲いて春を彩ってくれたレンゲの花・・・。
その景色が母校が耕している’ケルネル水田’にあるのです。

まもなく母校の生徒達によって水田の耕起、田植えが行われますが、この水田を見下ろすところに母校創立40周年を記念して建てられた「水田の碑」があります。

この「水田の碑」は昭和62(1987)年10月に、母校の名前で建立されました。
この石碑の裏側には、この地に存在した(そして母校は今存在しているのです!)学校の名前が沢山出てきます。

列挙されている学校の名前の最後には建立者である母校の名前が刻まれていますが、最初の三つは、農事修学場、農学校、駒場農学校となっています。
農事修学場は明治7年新宿御苑におかれ、明治10年名前を農学校とあらためて駒場に移り、明治11年明治天皇をお迎えして駒場農学校としてスタートしています。

William S.Clarkが、”Boys, be ambitios !"という言葉を残して札幌を去ったのが明治10年であり、明治11年に明治天皇を迎えて駒場農学校が’開校’したことから、日本最初の農学校は札幌農学校であると思う人がいますが、駒場農学校は明治7年の農事修学場からの流れであることを思うと、日本最初の農学校は駒場農学校であるとわたくしには思えるのです。

現に、明治10年今の新宿御苑から駒場に移ってきたときの学校名が「農学校」という普通名詞を使っています。学校名にしても組織にしてもを普通名詞だけをその名前とすることは、それがその言葉の使われている国で、唯一のものであることを示しているように思われます。つまり類似のものが複数存在するようになって初めてお互いを区別するために地名などの固有名詞を付けるものであることを思いますと、駒場農学校が日本で最初の農学校であったことは間違いのないことではないかと思われます。

ともあれ、5月末までに水田の耕起、苗代作りがおこなわれ、6月早々に母校の生徒達によって田植えが行われます。田植えの終わった6月の田圃も見て美しいものです。


若葉会事務局 H.T


 
 ケルネル田圃’に咲く今年のレンゲ    ケルネル田圃’を見下ろす「水田の碑


  

 
 キャンパスの四季<駒場野公園拡張部>

駒場野公園拡張部

母校の正門を出て淡島通りを横断した所に今、大きな公園が出来ました。
正式な名前は「目黒区立駒場野公園(拡張部)」です。

(拡張部)と言うからには、拡張される以前の「駒場野公園」があるはずですが、この以前からの「駒場野公園」というものの中に、母校が今でも水田による稲作の総合学習をしている通称’ケルネル水田’があります。

’ケルネル水田’についてはあらためてお伝えしたいことがありますが、今日は、母校の目の前にある「駒場野公園(拡張部)」をご案内いたします。

古い卒業生の人々にとっては、ここは郵政省電波研修所と呼ばれていたと思います。
比較的新しい卒業生にとっては、NTT研修所と呼ばれていたかも知れません。

NTTが新しい研究(研修)施設を武蔵野市に作るに際して、この国有地が目黒区立の公園になったのです。
一時、ここは少年サッカー専用のサッカー場を作ることになっていたのですが、公園を作りたいという近隣住民の強い意志が示され、これが目黒区を動かしこの公園に成りました。

筑駒生も時々この公園でボールを蹴ったりして遊んでいるようですが、どうか公園のルールを守って使って欲しいものと願っております。

今日はこの公園に咲いた「ハンカチの木」をお見せします。
ハンカチの木は英語でもHandkerchief treeまたは Dove tree といいますが、花を囲む白い葉がハンカチのように見えるのです。
中国大陸の高地に起源がある木のようで、花が咲くまでに相当の年数がかかると言いますから、このハンカチの木が、花のまわりに白いハンカチのような葉を付けているのを駒場で見るのは珍しいと言えるかも知れません。

           
                目黒区立駒場野公園

 
  ハンカチの木の標識         ハンカチの木のハンカチのように見える葉
          
(注意して見てください。白い葉がハンカチを垂らしたように見えます!) 

公園をあとにして大学入試センターを左手にして駅のほうに行くときに八重桜の道がありました。

            
            入試センターを左にしての八重桜の道


若葉会事務局 H.T


  

 
 キャンパスの四季<雪の降った翌朝の編集会議>

雪の降った翌朝の会報編集委員会(会報66号)

4月17日(土)東京は40数年ぶりに4月半ばに雪が降りました。
寒い朝でしたが若葉会報66号の編集委員会が50周年記念会館にある若葉会事務局室で行われました。

若葉会報第66号は7月中頃に発送されると思います。発行の日付が6月30日ですので。

所で今日は第3回目の編集委員会で、第1回は2月26日、第2回は3月20日に開かれ、第4回は5月8日の予定です。必要ならばもう一度開くかも知れません。
このように長期間にわたって、一つの会報の編集が行われているのです。

今日は編集委員長のT副会長を始め、HP委員会のH氏も出てくれました。
会報の専門的編集を委託しているもう一人のH氏、第一期のT先輩など合計9名が集まりました。

会報とHPの違いもだんだん各人の頭に刻まれてきました。
会報は「読むもの」、HPは「見るもの」という大きな違いがあるかも知れません。
HPはネット上ですから、速報性がある上に、カラーの写真を何枚も送ることが出来ますが、読んでくれる読者層は会員の範囲を超えてしまいます。
従って、若葉会員にだけ共通な内容があるとすれば、それは会報で扱い、一般の方々がご覧になっても構わない形にした内容はHPで流し、若葉会員はHPから事柄のトピックをひろってもらいその内容を確かめるのは会報で行なってもらうという行き方になるのではないかということも今日の編集委員会で論議されました。

会員からの情報を必要としていますし、心ある会員が会報の編集にも協力してくださることをお願いしたく思います。


若葉会事務局 H.T


   
  
未だ昨夜降った雪の残る編集室の窓の外      編集会議へ向かう途中の駒場野公園の雪と若草

            
           同じく駒場野公園の寒そうなツツジと雪



   

 

 「2009若葉会 会員名簿」が発行されました


   


2009若葉会会員名簿が発行されました。特別会員(恩師)、終身会員および直近3ヵ年の年会費完納の会員にはすでに発送済みです。また今年の3月に卒業した58期生にも無料で配布いたしました。
    
なお、過去において、若葉会名簿情報が悪用された例があります。そのため配布された名簿には、第三者または名簿業者への散逸を回避するため、名簿の複数個所に番号を付けてあります。会員の皆様におかれましても、名簿の取り扱いには十分ご注意下さいますようお願いいたします。
    
また、皆様の周辺で会員名簿の不適切な使用を思わせるような事例がありましたらすみやかに事務局までご連絡をお願いいたします。 

(若葉会事務局)

  

 

 キャンパスの四季<平成22年度入学式>

平成22年度入学式

4月9日(金)は母校の入学式でした。
入学式に出席された藤村会長によると、中1(64期生)123名、高1(61期生)164名とのこと。

目黒区の公立小学校の入学式が4月6日(火)、中学校は4月7日(水)であったので、何故か我が「国立大学法人筑波大学附属駒場中・高等学校」は入学式が遅くなっています。

しかしこの’遅い’のが仕事をする先生方にとって準備の時間を与えることになりますし、何よりも自立して学ぶ学生にとって’貴重な遅さ’のように思われます。

’急がば回れ。’ 母校はゆっくりとスタートしているようですが、周到な準備で今年度をスタートしようとしているのでしょう。

写真は入学式の正門と、正門を入ってすぐ右手、50周年記念会館への途中右手に咲いている海棠の花です。(後ろの建物は「50周年記念会館」です。)


平成22年4月10日 若葉会事務局 H.T

    

   

 

 キャンパスの四季<桜咲く頃の淡島通り地蔵尊>

桜咲く頃の淡島通り地蔵尊

            

上の写真は、母校正門から見た淡島通りとその向かいの地蔵尊です。
私達若葉会員はこの地蔵尊にほとんど関心を払うことなく過ごしてきたことでしょう。

また、この地蔵尊の由来を知る人はほとんど居ません。しかしこの地蔵尊が(目黒)駒場野と(世田谷)淡島の境であったことは事実でしょう。

重い病がここから中へ入らないようにとか、ここを通る旅人の安全を祈るものであったことが想像されます。筑駒の受験生もここでお祈りをしている姿があります。


   
      お地蔵さん達の写真         驚いたのですが地蔵尊のひとつに
                     「元禄」の文字を読み取ることができました



達の母校は「淡島通り」に面しています。淡島通りを西へ15分ほど歩くと、2月8日の針供養で有名な淡島森厳寺(しんがんじ)に行くことが出来ます。森厳寺のなかに初代住職の腰の痛みをなおしてくれた「淡島様」を祀る「淡島堂」があるとのこと。
これが「淡島通り」の名前の由来とのこと。

佐藤元首相、竹下元首相もこの道を通られました。

今は静かに桜が母校と淡島通りを眺めています。

平成22年4月7日 若葉会事務局 H.T


    

 
 キャンパスの四季<こまばエミナース>

「こまばエミナース」の閉館

3月28日(日)をもって、「こまばエミナース」が30年の歴史を閉じました。
国民年金中央会館として全国各地にある「・・・エミナース」の拠点として講演会、演奏会、結婚式、宿泊、レストラン、喫茶室などと数限りない恩恵を地域社会にもたらしてくれました。

我が母校も、中学の弁論大会をここでやったこともありますし、遠方の先生方がここで宿泊されたこともあったでしょうし、水田を耕してくださっている栃木県のS氏ご一家に、その代掻きの間、ここに泊まっていただいていました。

筑波からの教育実習生もここに泊まった人がいるのではないでしょうか。

何よりも若葉会は毎年新年の「会員懇親総会」をここで10年くらい続けて行って参りました。
若葉会としては代替の場所を常任幹事会が事務局を通して探し、近く正式にご連絡がいくものと考えられます。

若葉会も大きな恩恵を受けた一つの施設がなくなるのは、日本国の年金財政が原因と思われますが、社会に大きな恩恵を与えた施設がなくなるのは本当に悲しいことと想われます。

エミナースの写真と、駒場野公園正門の桜の写真を貼付します。

〜年年歳歳花相似たり 歳歳年年人同じからず〜


平成22年3月30日 若葉会事務局 H.T


    



 
 キャンパスの四季<春休み>

春休み

3月24日(水)が終業式で次の日から春休みとなっています。
4月の入学式・始業式までにキャンパスは改築・補修そして人事異動等で何となく雑然としています。

駒場会報によると英語科のK先生と事務のT事務係長が定年でおやめになるとのこと。

K先生は新進気鋭の教師として赴任され、英語科でLLを充実されました。
T係長はS前副校長のご親戚で、教育大農学部の時から駒場にお勤めでした。
T係長を含めて歴代の事務係長は本当による遅くまで仕事をしておられました。
一つの学校を維持運営していくのにそれだけ事務の量が多いということなのだと思われます。

親しい方々がおやめになるので本当に淋しい想いですが、キャンパスに花は咲いています。


平成22年3月26日 若葉会事務局 H
.T


 
   
  盛りを過ぎた夏みかん(温室の近く) なりすぎて地面に落ちた夏みかん(温室の近く)

 
   
    正門近くの桃〜「照手姫            小会議室裏の花壇
                (満開のこの花が悲しい春休みの心を慰めてくれました)


    

 
 キャンパスの四季<中学校卒業式>

学校卒業式 

母校の場合、高校の卒業式は毎年3月1日と決まっているようです。
ですから、雪の時もありました。
中学は春の彼岸明けの前後に行われています。
今年は、3月23日(火)でした。
若葉会の藤村会長が出席されてレポートをいただきました。
卒業生の数123名(3クラス)、全員が高校に進学とのこと。

写真は卒業式の校門の風景です。


平成22年3月25日 若葉会事務局 H.T


     


   

 
 キャンパスの四季<花桃>

若葉会の皆様

駒場在住の会員として、「キャンパスの四季」をお届けいたします。

この美しい桃の花は「矢口」と「寒緋桃」という桃です。
平成16((2004)年1月12日(月・成人の日)宮島前会長と、向高(むかだか)前校長の手によって植えられました。

農学者・2期生吉田雅夫氏の寄贈になるもので、構内に60本が植えられました。5期生の果樹園芸家福島正幸氏他多くのかたがたの協力を得て、構内の各所に色々な種類の桃が植えられました。

吉田雅夫氏によると、江戸時代の駒場野は将軍のお狩り場であったので、お休み所や御膳所があったため、周囲には観賞用の樹木も栽培されていたであろうとのことです。

和歌森太郎氏の「花と日本人」(角川文庫)によると、駒場野の「しだれ桃の林」は江戸の名所になっていたとのことです。

吉田氏を初めとする多くのかたがたのご協力により、今キャンパスではこの江戸時代に駒場野にあった桃の’里帰り’した桃達がキャンパスに咲いています。

今日はこの他に、「ハクモクレン」と「寒緋桜」をお送りいたします。

母校のキャンパスは今、花盛りです。


平成22年3月17日 若葉会事務局 H.T


   
 倉庫を背にした「矢口」と「寒緋桃」   50周年記念会館を背にした「矢口」

    
  温室を背にした「ハクモクレン」       事務室を背に「寒緋桜」


  

 
駒場散策マップ(駒場野公園・駒場公園界隈:高田光雄作)

   懐かしい学校界隈のマップです。会報59号に掲載したものをマップを載せました。
    (地図をクリックすると拡大図が見られます。)


    
   





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