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              ヒアリについて考える 


                                    12期 田付貞洋

【プロローグ】
          
「まだまだ油断はなりません。最近では、やはり南米原産のヒアリなる毒針をもったアリが世界中に広がりつつあり、台湾には既に侵入してきています。これも要注意ですね!」

 上は昨年(2017年)5月に若葉会HPに掲載いただいた「私の履歴書」中のぼくの一文です。そして、「ヒアリを国内で初めて確認した」と環境省の発表があったのは何とその翌月でした(6月13日)。その後は数か月間にわたって、兵庫県を皮切りに繰り返された「殺人アリ上陸!」というようなセンセーショナルなニュースが続き、国中を巻き込んだ大騒ぎは皆さんの記憶に新しいと思います。年末の朝日新聞、「科学 2017年 10大ニュース」の第1位は堂々(?)「ヒアリを国内初確認」でした(図1)

      図1 「ヒアリを国内初確認」が第一位の「科学 2017年 10大ニュース」
        


 結局、11月下旬までに12都府県で26例、数千頭のヒアリが見つかりました。そのうち生きたアリが見つかったのはほとんどが港湾や倉庫の輸入コンテナ(おもに中国南部から)とその周辺の地上で、後に書く特徴的なヒアリの巣(アリ塚)は確認されていません。ということは、昨年の発見例はいずれも侵入後あまり時間が経過していないことを示しており、これはラッキーだったと思います。ヒアリが定着し、成熟したアリ塚が増えるまでに増殖してしまうと駆除がきわめて難しくなるからです。

 ちょうど昨年のヒアリ初確認発表からほぼ1年がたち、環境省や都府県の行政、港湾や流通の関係者をはじめとする多くの人たちが神経をとがらせ監視体制を固めていると思いますが、幸い現時点(2018年6月16日)では上の大阪の事例を除くとヒアリ侵入のニュースは聞こえてきません(こう書いた翌日、大阪で大量のヒアリが輸入コンテナから見つかったとのニュースが伝えられました!)。何とか国内にヒアリを定着させないためにはどうしたらいいか。万一定着が確認された場合にはどのように対処して蔓延を防ぐか。今回は基本的なことを振り返りつつこんなことを考えてみたいと思います。

 後になりましたが、ぼくは長く昆虫学の世界で研究・教育に携わってきました。さまざまな昆虫と付き合いましたが、アリとは長く縁がありませんでした。ところが、定年退職まで6年を残す2003年、偶然のことからヒアリと同じ侵略的外来アリであるアルゼンチンアリの生態と防除に関する研究にかかわることになりました(この経緯は上述のHPで取り上げていただいています)。ヒアリの研究を自分で手掛けたことはないのですが、アルゼンチンアリの経験からヒアリについても講演や執筆を依頼される機会が増え、ヒアリもにわか勉強を強いられる状況になりました。そういうことでこの記事の執筆も専門外ですがお受けしたのです。執筆を勧めてくださったHP委員の吉利さん(12期)、どうもありがとうございました。

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【ヒアリはなぜ恐い?】

ヒアリはfire antの直訳。ぼくは幸い刺されたことがありませんが、刺されると火のついた線香を当てられたような痛みがあるそうです。しかし、刺された経験のあるアルゼンチンアリの研究仲間は口をそろえ、「ハチの方がずっと痛い」と言っていました。では、「毒」が恐いのか?「殺人アリ」と聞けば確かに恐そうです。でも、調べると刺されて死に至るのは稀のようで、むやみに恐がることはなさそうです。
それではヒアリの何が恐いのでしょうか。


 《特定外来生物》

 2005年に施行されたいわゆる「外来生物法」では、外来生物の中でもとくに生態系や人間の生活、生産に甚大な被害をもたらす可能性があるものを「特定外来生物」に定め、移動、飼養、売買、遺棄を厳しく禁じていて、違反には厳しい罰則があります。外来生物は意図的、非意図的にかかわらず人の手によって日本に運びこまれた生物ですから、もしそれらの生物によって被害がもたらされる場合には人が「責任をもって」対処すべきだと思います。

 昆虫で特定外来生物の第一次指定を受けた3種は全てアリでした(アルゼンチンアリ、ヒアリ、アカカミアリ)。このことは、多様性のきわめて高い昆虫の中で、「侵略的外来アリ」によるリスクがいかに大きいかを表しています。なかんずくヒアリは当時日本で未確認にもかかわらず指定を受けたのです。これはヒアリの地球規模の分布拡大の様相とリスクの大きさからでしょう。ですから現実に侵入が見つかって「ヒアリ騒動」が起きたのは当然といえば当然でした。しかし、「殺人アリ上陸!」のような見出しは実態にもとづいたものとはいえません。ヒアリがどんなアリで、どのようなリスクがあってどのような対処法が望ましいのか、私なりの説明を試みたいと思います。


 《ただのアリと侵略的外来アリ》

 そんなことは必要ない、と言われそうなことから始めます。第一に、アリはだれでも知っている刺すハチ(有剣類)の一部であるアリ科に属す昆虫です。つまりアリはハチの1群です。ですが、多くのグループで刺す針が退化していて、庭でおなじみのアリはたいてい針がありません(ヒアリのほうが正統派?)。

 アリは社会性昆虫と言われ、多くは「単女王制コロニー」と呼ばれる1匹の女王(翅をもち大型の繁殖メス)とその娘である多数の働きアリ(翅がなく小型の不妊メス)からなる血縁個体でコロニー(巣)を作り、集団で生活します。繁殖期にはオス(これも翅がある)が生まれ、新女王ともども巣の外に飛び立ち(結婚飛行)、空中で交尾した女王は単独で新たな場所に巣を作って産卵します。同じ種であってもコロニー間で競争する性質があり、巣が違う個体同士は激しく敵対します。このような生活では、巣作り、餌採り、巣の防衛など活動の全てで数が効率性を高めます。1匹ずつではむしろ弱い存在です。

 ところで、昆虫はどんなものでも生息密度がある限度を超えれば害虫になりえます。数、すなわち増殖力を武器に進化してきたアリは潜在的に害虫になりやすいのです。じっさいに身近なただのアリでも数が増えると集団で家に入り込んだりして害を与えるでしょう。

 ヒアリなど「侵略的外来アリ」と言われるアリは普通のアリと比べると格段に高い増殖力をもち(増殖力を高めるからくりは後で説明します)、異常に数が増えることで被害を大きくします。なぜ異常な増殖力を備えているのかは出自を知ると合点がいきます。原産地はいずれも中南米の大河川の流域で、そこは常習的な洪水に見舞われる不安定な環境にあります。そこで生き残るには打撃を受けても速やかに個体群を回復できる高い増殖力をもつことが必須です。また共存する他種アリとの闘争に勝つための攻撃力や何でも餌にできる広い食性、どこにでも巣を作れる柔軟な性質も有利に働きます。侵略的外来アリはまさにそのような能力を高める方法に進化した特殊なアリなのです。ただ、こんな能力をもったアリでも原産地では他のアリとの競合や天敵の圧力によってむやみに増えることはできません。ですから侵入地の侵略的外来アリも原産地ではただのアリの一員で、有害アリとの認識は薄いとのことです。

 問題はそんなアリを人が知らずにほかの場所に運んでしまうことです。貨物などといっしょに運ばれたアリの到着地の多くは人に攪乱を受けた港湾や工場地帯で、そこは競争者も天敵もほとんどいない別天地。何でも食べるので人の出すゴミも含めて餌には事欠きません。爆発的な増殖の条件がそろっています。最も早く、20世紀前半からヒアリの侵入を受けてきた合衆国南部には原産地のヒアリの総数をはるかに上回る数が生息するといわれています。


 《ヒアリの恐さ その1:増殖力》

 侵入地におけるヒアリは、①産卵数が異常に多い。1匹の女王が1日に2000卵を産むことができるといわれます。②一つの巣に女王が多数いる多女王制のコロニーが主体になります(原産地では単女王制が多い)。これも当然コロニーの増殖力を著しく高めます。③極めつけは「スーパーコロニー」でしょう。これは多女王制で顕著になる現象で、敵対しない多数の巣群を指します。普通のアリが巣ごとに競合するのに対し、近隣の巣が協力し合うのです。いわば地域の巣が連合軍を形成するようなもので、下に書くように1つの巣(アリ塚)に20万匹ものアリがいるとすると連合軍の兵隊数は天文学的です(図2)

       図2 ヒアリの働きアリ:体長は2.5-6mmまで連続的な変異がある
          (環境省:特定外来生物写真集)
        



 増殖して巣内のアリ密度が許容限度に達すると起こるのが「巣分かれ」です。女王の一部が働きアリとともに行列して巣を離れ、近くに新しい巣を作ってそこで繁殖を開始します。元の巣のアリとは巣仲間でしたから敵対せず、行き来して協力しあいます。そもそもこれがスーパーコロニーを導いたと考えられます。巣分かれは多女王制とあいまって侵略的外来アリに特有の生息範囲拡大方法になっています。どこにでも巣を作る性質から巣分かれの際に貨物などに巣を作ることがあり、人が知らずに運ぶ原因になります。これは人任せなので巣分かれと違ってはるか離れた場所への生息範囲拡大を可能にします。日本へのヒアリ侵入も含め、侵入地から新たな場所への拡散はおもにこれによると考えられています。

 いったんスーパーコロニーができてしまうと根絶はほぼ絶望的です。殺虫剤(おもに下に書くベイト剤)で全体を一気に攻撃すれば根絶できそうですがこれはいかにも非現実的です(コスト的にも環境問題においても)。部分的な防除では一時的に数を減らせてもじきに周りからの援軍が侵入して勢いを回復してしまいます。


 《ヒアリの恐さ その2:攻撃力と毒》

 ヒアリは裸地や草地に特徴のあるマウンド形の巣、アリ塚を作ります(図3)。強大な増殖力をもって数年かけて成熟した1つのアリ塚には20万匹ものアリがいるそうです。侵入地では、人と接触する機会が多い住宅の庭、校庭、公園、グランドのようなオープンの場所に好んでアリ塚が作られ、さらに始末が悪いのはアリ塚の周囲半径約10 m の範囲の土中にはトンネルが縦横に掘られ、その範囲に足を踏み入れるだけで大量のアリに襲われることです。アリ塚そのものは目立つので注意していればうっかり踏みつけるようなことはないと思いますが、守備範囲が意外と広いので多発地で攻撃を避け切るのは難しいでしょう。とくに幼児や高齢者、犬などのペットはいざというときに対応が難しいのでいっそうの注意が必要になります。ヒアリは逃げることがなく常に攻撃するといわれるくらい攻撃性が高く、しかも素早い行動力と毒針という化学兵器を備えています。かく武装した大量の働きアリに襲われるのは想像するだけでぞっとしますね。以上のように、侵入地でヒアリが増殖すると住宅地や公共の施設の使用ができなくなるなど、一般生活への負の影響が非常に大きく、経済的損失も莫大なものになります。

        図3 ヒアリの特徴的なアリ塚 (環境省:特定外来生物写真集)
        


 ヒアリが刺す際にはまず大顎で噛みついてしっかり姿勢を確保してから尾端の針を突き刺すそうです。刺されると痛みだけでなく稀に劇症アレルギー反応(アナフィラキシー)により死に至ることがあるので注意は絶対に必要です。刺された後1時間くらいはアナフィラキシーに気をつけなければいけないことがどの参考文献にも書かれています。致死率に関する明確な統計はないようで、ぼくの目にした資料では0.001%-0.06%まで幅がありましたがいずれも高いものではなく、「殺人アリ」と言うのは明らかに行き過ぎでしょう。注入される毒成分はかねてから詳細に研究されています。毒の主成分はソレノプシンと呼ばれ、動物が合成するのは珍しいアルカロイドです。この物質の作用で痛み、腫れ、熱が発生します。刺された後に膿疱ができるのがヒアリの特徴だそうです。アナフィラキシーの原因はこの成分ではなく、毒に微量含まれるタンパク質成分です。ここでもう一つ注意が必要なのは、ヒアリの持つタンパク質毒がスズメバチの毒と似た成分であるために、スズメバチ類に刺された経験があるとヒアリに1回刺されただけでアナフィラキシーを発症することがあるということです。

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【ヒアリの定着を阻止するには:早期発見・早期防除】


 ヒアリが定着して成熟したアリ塚がたくさんできる状況になると駆除は難しくなり、とくに根絶はほとんど不可能になります。「早期発見、早期防除」が何より重要である理由です。幸い、日本では今のところ定着までは至っていないようなので、万全を期して定着・拡散を阻止することが当面重要で、そのためには徹底した生息調査と防除の継続が必要です。今なら間に合う可能性があると思います。


 《2017年の対応と今後の見通し》

 昨年(2017年)の尼崎市での初確認以降の一連のヒアリ侵入に対する緊急対策は、行政と研究者の連携が比較的うまくいき迅速かつ効果的に進められました。発見場所から2km範囲での生息調査、中国などからのコンテナを取り扱う68カ所の港湾ならびに主要29国際空港を対象にした生息確認調査が直ちに実行され、発見された場合は即刻防除が行われたのは評価に値します。冒頭に記した12都府県26例の発見はおもにこれらの成果でした。

 野外で巣(アリ塚)が未発見であることを前提にすれば、日本へのヒアリの侵入は最近起こったことと考えられ、定着阻止はまだ可能かもしれません。でも楽観は禁物です。近年の物流の状況からすれば、もっと以前に日本に侵入があり、すでに野外に定着している可能性もないとはいえません。また、世界の事例を見ると、最初の侵入国である合衆国をはじめ2000年以降に侵入を受けたオーストラリア、ニュージーランド、台湾、中国などのうち、根絶に成功したのはニュージーランドだけで、そのほかはことごとく対策が手遅れとなり、巨費を投じたにもかかわらず根絶はほぼ絶望的な状況です。侵略的外来アリの根絶がいかに困難かはヒアリだけでなく、ぼく自身もかかわったアルゼンチンアリでも同様で、日本では地域個体群の根絶事例はありますが、日本からの駆逐は当面不可能な状況です。


 《早期発見、早期防除を可能にするには》

 上に書いたようにいったん広がってしまった侵略的外来アリの根絶はほとんど不可能で、そうさせないためには何よりも早期発見、早期防除が大切です。そのためには、第一に、侵入リスクの高い港湾や空港における輸入貨物(コンテナなど)のいっそう厳格な検査と丁寧なモニタリングは不可欠です。第二に、昨年侵入が確認された場所を含め、検査やモニタリングでヒアリが見つかった場合は範囲を拡大して餌トラップにより巣の有無を確認する調査が必要になります。その際には台湾ですでに実行されていて、日本でも新聞などに取り上げられた「ヒアリ探知犬」の活用も有効な手段だと思われます(図4)

        図4 2018年3月に学会のデモンストレーションのため来日したヒアリ探知犬
            (台湾のMonster’s Biotech社)
           



 《正確な種の同定》

 検査やモニタリングでヒアリの疑いのあるアリが見つかっても、たしかにヒアリであると決定するのは意外に難しい作業です。ヒアリの働きアリは体長が2.5-6mmと小型で在来アリのさまざまな種との区別がつきにくいことと、ヒアリには形態での区別が難しい複数の近縁種が存在するからです。正確な種の決定には専門家による同定作業が必要ですが、そのためには少なくとも数日はかかるので、迅速な対応ができない心配があります。この点を解決できると期待されているのが国立環境研究所で開発中のヒアリ検出キットです。DNA分析技術を応用し2時間ほどでヒアリを同定できるとのことなので完成が待たれます。


 《できるだけ多くの目で》

 難しい種の同定はさておいて、アリや巣の発見現場で疑いのあるアリかどうかを判断することがまずもって大切です。小さなアリなど目に入らないというのはもちろん困りますが、逆にアリなら何でもヒアリを疑うというのも著しく非効率です。そうならないために、港湾関係者や輸入業務に携わる行政担当者にはこの判断ができるようなトレーニングが必要でしょう。ただしこれは最低限の話であり、ヒアリが定着しないならばそれですむかもしれませんが、いつ定着が起こるかどうかわからない昨年以降の状況では、上記の人たちのみならず、広く一般市民がヒアリに関心をもち、正しい知識を備えることがきわめて重要と考えます。グローバルな動きをする侵入害虫は研究者や限られた専門業務の人たちだけではとても監視しきれません。たくさんの人の目を動員することで発見効率が高まり、発見時に適切な対処が可能だと思います。


 《国際協力の重要性》

 ヒアリの侵入が昨年初めて確認されたのにその後急増したのは、おもな貨物積み出し地である中国南部で最近何らかの理由でヒアリの生息密度が急上昇したことを物語っています。さしあたっては日中両国が協力することで輸出国側での効果的な検査や防除の体制が何とか整えばよいと思いますが、実行には解決すべき課題も多くあるようです。さらに、中国以外からの侵入も当然あるものと考えなければなりません。グローバルに動くモノと人の量とスケールからしてヒアリをはじめ外来種問題はもはや地球上のどこでも不可避であることを前提にせざるをえません。互いに被害を抑制・低減できるような国際協力の密なネットワークがますます重要になっていると思われます。

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【ヒアリを防除する方法】

ヒアリやその巣を発見した場合の具体的な対処法に触れておきます。ヒアリをはじめアリ類に最も簡便かつ効果的なのはベイト剤の設置または散布です。
普通の殺虫剤散布は部分的効果にとどまります。原産地ではヒアリの寄生者など天敵が知られていますが防除への利用はまだ研究段階のようです。在来の生態系、中でも在来アリ類にヒアリの新たな侵入や生息範囲の拡散を抑制する機能が期待されますが、将来の研究課題でしょう。



 《薬剤防除:最も有効なベイト剤》

  「害虫には殺虫剤でしょう」、と簡単に思うと失敗します。まず、アリ全般に言えることはコロニーが単位になっていることです。目につくアリに殺虫剤をスプレーすればそのアリは死にますが、そのアリのコロニーはおそらくびくともしないでしょう。コロニーに打撃を与えられるように開発されたのがアリ用ベイト剤(毒餌剤)です。ベイト剤はアリの好む餌に「遅効性の」殺虫剤を混ぜたもので、顆粒状や液状のものがあります。これらをプラスチック製のケースに詰めたものが、「アリを巣ごと退治できます」というような宣伝文句で市販されているのをご存知では。「遅効性」が重要なところで、触れてもすぐには効果が出ませんから、働きアリは餌としてこれを巣に持ち帰り、巣内でメンバーに分配した後で効果が表れるため巣全体に打撃を与えることができます。

 巣そのものや行列に対しては通常の殺虫剤(液剤や粉剤)の散布も有効ですが、巣全体に効果を行き渡らせるのは難しいでしょう。ベイト剤との併用が効果的と思います。なお、ヒアリなど侵略的外来アリでは、農作害虫や衛生害虫でしばしば問題となる殺虫剤抵抗性は生じていないようです。

 ぼくたちはアルゼンチンアリの防除に道しるべフェロモン(巣仲間を餌場に動員する働きをするフェロモンで、アリの行列はこのフェロモンに導かれて形成されます)を利用できないかを検討し、餌採りを抑制する効果を世界で初めて明らかにしました。また、ベイト剤と併用すればベイト剤の使用を削減できる可能性も示しました(以上も冒頭に挙げたHPに書かれています)。これらの成果は注目され、ヒアリについても海外の研究者が道しるべフェロモンの利用可能性を報告しています。毒性をもつ薬剤をできるだけ削減する方向にあって、フェロモンの利用は今後も研究が重ねられるでしょう。


 《生物防除:天敵や生態系の利用は将来の研究課題》

 原産地ではヒアリの主要天敵として病原性の微胞子虫と捕食寄生性のノミバエ類が知られていますが、これらを侵入地での防除にじっさいに利用する段階にまでは至っていません。

 アリの最大の天敵はアリ類だと言われます。強力なヒアリも、前に述べたように原産地では他のアリとの競合などにより「ただのアリ」です。侵入の際や定着の初期段階では在来アリ類は大きな圧力になると考えられます。昨年のわが国への侵入の際には、一時、各地の主要な港湾で予防的にベイト剤を設置する方針が打ち出されました。それに対して、多くのアリ研究者からむやみに土着アリを除去することはヒアリの侵入を助けるものになるという危惧の声が上がったことを覚えているかもしれません。在来アリ類の圧力が検証されているわけではなく、実際に研究者の一部からは危惧に根拠がないとの反論もありましたが、ぼくはアリ研究者らの意見に一理あると思いました。それは、アルゼンチンアリの調査中に経験したことを思い出したからです。山口県岩国市でのことです。多発地域では住宅地や農地に在来アリの姿は全くなく、見かける多数のアリ全てがアルゼンチンアリという異様な光景でした。ところが、農地に接する山林に一歩入って驚きました。様子が全く違ったのです。アルゼンチンアリの姿は見えず、さまざまな種の在来アリが何事もなかったように活動する光景は何とも印象的でした。

 どこも殺風景な港湾にもう少し豊かな生態系ができるだけの緑地を用意すれば、少なくとも侵略的外来アリの定着、増殖を少なくできるのではないか。これはぼくの将来の夢です。


【エピローグ】

最後に視点を変えてみましょう。生物界には自然の移動ももちろんありますが、ヒアリに代表される外来種はどの種も全て人が運んだものです。知らずに運んだ場合が多いとはいえ、責任は人にあることは明白です。外来種からすれば、「勝手に運んでおいて有害生物はないだろう」、でしょう。ここまで文明を発展させることができた人間は、そろそろ謙虚になって先端技術を使う目的を根本から考え直す時期なのではないでしょうか。


                                    2018年6月23日

    

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 私の履歴書 筑駒12期 田付貞洋・「想像力と二化螟蛾」

     
                   インタビュアー 12期吉利・13期山本・15期羽鳥
                                2017年3月24日取材
                                2017年5月19日掲載

               田付貞洋(たつきさだひろ)さん紹介」

 「私の履歴書」第4弾です。筑駒12期生・田付貞洋さんのご登場です。
田付さんは、日本の稲作にとって長年大敵であった害虫「二化螟蛾(ニカメイガ)」の研究をはじめ、昆虫の世界に、生涯をかけて取り組んでこられた研究一筋の農学博士・東京大学名誉教授であられます。所謂、世間の脚光を浴びる世界と云うよりは、謂わば、日本の食を裏方で支えてこられたお一人とも言えましょう。
 戦後間もない1945年(酉年)11月20日(火)、京都にお生まれになりましたが、誠に悲しいことに、ご両親とも小学校に上がる前に他界されました。そうしたご事情から、1歳からは埼玉県浦和にて母方のお祖母様の手でお育ちになりました。 幼少の頃から本能的に昆虫が大好きだったとのことです。ダンゴムシをポケットに忍ばせて野原遊びから帰宅したり、トカゲをお祖母様へのプレゼントにして驚かせたりと、大好きという感情の前には、怖がるとか敬遠するとかの心理が少しも働かなかったようです。
 その幼年期に培った昆虫への好奇心と関わりが、生涯を通じてのライフワークとなり今日に至っておられます。まさに、天賦の好奇心が体内を脈々と流れてきた、生涯を通じての昆虫少年なればこそ、フェロモン研究の創成期にあっては難関であった「二化螟蛾(ニカメイガ)」のフェロモン究明に漕ぎつけ、現役引退後の今でも、昆虫との触れ合いを大切にして日々の生活を楽しまれています。

 2017年3月24日、お時間を遣り繰りいただき、若葉会事務局室にてインタビューに応じて下さいました。誠にありがとうございます。改めて紙上にても御礼申し上げます。
 さて、標的である害虫「ニカメイガ」に対してでさえも注いだ田付さんの優しい想像力が、「ニカメイガ」フェロモンの解明に繋がったものと思われてなりません。インタビューではありましたが、臨場感をお伝えするため、以下の「本編」は、ご本人の筆致にてご紹介させていただきます。「ニカメイガ」フェロモンとの苦闘を通して、昆虫の世界の一端をどうぞお楽しみください。そして、苦闘を苦とせず受け入れる包容力と豊かな想像力の世界を、皆様方ご自身の、これからの人生のヒントにされて下さい。


    
ところで、「二化螟蛾(ニカメイガ)」とは、どんな害をなす蛾?
        
                        
吉田忠晴氏撮影)

 まず、二化とは、年に2回羽化するという意味です。
 螟とは、髄虫として中に潜るという意味で、幼虫が稲の茎に潜り込んで食い荒らすとの意味合いです。
 戦前から戦後20年くらいまでは、稲作に大打撃を与えた害虫としての蛾でしたが、やがて農薬や農法の変遷等を経て、今日では潜んだ状態になっています。しかし、いつ復活するかわからない危険を秘めているため、発生量や発生時期を把握するためのモニタリングには、今でも田付さん方の発見した「ニカメイガ」フェロモンが活躍しています。



 



                 「本編」

 私は、既に古希(70歳)を超えましたが、幼少の頃から脈々と体内を流れる昆虫少年の気持ちはそのまま今後も(つまり「昆虫老年」として!)あり続けるだろうと思います。生涯の中心課題である「ニカメイガ」研究を履歴の中心に据え、人生のいくばくかを語らせていただきたいと思います。なお、2012年刊行の雑誌「TALK TALK」(経心会 68号)への掲載文に重なってご紹介する箇所も多くありますが、この点は何卒ご容赦下さいますよう、予めお願い致します。


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1・誕生・幼児・小学校   

 私は、1945年(昭20年)11月20日(火)に、京都で生まれましたが、1年後に母親が結核で亡くなり、同じ病気で長期療養中だったために会った記憶がない父も5歳の時に亡くなりました。
そうしたことから、学校に上がるまでは埼玉の浦和で、母方の祖母の手で育てられ、その後は東京の世田谷にて養祖父母に育ててもらいました。早くに両親を亡くしたことで、親のいない寂しさを感じることはなかったのですが、戦後の物資不足の中にあってすくすくと育っていけたのは、祖父母をはじめとする周囲の大変な支援があったからこそだ、ということに長じて気が付き、改めて感謝の念を強くしたものです。
 小学校に上がる前から、虫取りをして遊ぶのが大好きだったようで、特に、弦巻小学校時代の夏休みにあっては、毎日のように虫取り網をもって雑木林や野原を走り回っていた記憶が鮮明に蘇ります。


 
昆虫の形や色、動きはとても綺麗です!
 植物も美しい!動きのある昆虫は更に美しい!
 捕まえた時のドキドキ感!
 綺麗な虫が手に入った時の満足感!
 作った標本を褒められた時の達成感!
 虫好きな私は、遺伝子レベルで先天的に好きとなる因子を
 生まれながらにして備えていたようです!



 


 さて、浦和には近所に祖母の妹一家が住んでいました。そこには母のいとこたちが5人いて、両親のいない私を末弟のようにかわいがってくれました。さらにそのうちの男3人が揃って大の虫好きでしたので、私は彼らから虫についていろんなことを教えて貰いました。
 3兄弟の長男「大兄(おおにい)ちゃん」は、既に中学の理科の先生で、毎年夏休みになると、中学生を集めて、荒川土手で夜間昆虫採集会を開いていました。私が小学校6年生になり、初めてそれに参加を許された時の嬉しい思い出は、今も鮮明に残っています。
 また、大兄ちゃんの奉職する中学校の生物室で、いろんな昆虫の標本を見せて貰ったこと、その時の、真夏の暑い生物室の独特なニオイ、全ての情景が今でも鮮やかに蘇ってきます。


  
インタビュアー注:大兄ちゃんこと川崎哲也氏    

 
川崎哲也氏は、昆虫もさることながら、実は、サクラ(桜)の分類では、日本で第一級の研究家で、多くの研究論文のほか「日本の桜」など著書も多数あります。それ以外に牧野富太郎博士直伝の手法によるサクラの彩色図も多数描かれましたが、それらは没(2002年)後、何度も原画展が開催されるほど素晴らしいもので、最近になって、東大の博物館におられた植物分類学の権威、大場秀章先生(名誉教授)の尽力にて、原寸大の「サクラ図譜」として刊行されました(2010年出版)。川崎哲也氏の研究に対する真摯な態度と情熱、そして美意識は、田付少年にとくに大きな影響を与えたようです。


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  2・教育大附属駒場中学校・高等学校  

 
さて、昆虫に明け暮れた小学生ではありましたが、中学進学となると、何も深く考えることなく、祖父母の勧めに素朴に従い、ご多分に漏れず日本進学教室へも通いました。結果は首尾よく、教育大学附属駒場中学校に入学できました。しかし、この附属駒場中学校への進学が無かったら、きっと今の私はいなかったことでしょう。
 
そうです。生物の重松樫三先生との出会いです。

 
その当時、遺伝子に係るDNAといった専門用語は一般の話題にさえ上っていませんでした。
ところが、重松先生は、その難解な概念を中学生、高校生と云ったまだまだ未熟な生徒を相手に、真剣に講義されました。所謂、年齢に関係なく、本物の学問を教えて下さったのです。
大変な刺激を受けるところとなりました。
 逸る心で、生物部にも早速入りました。期待に違わず、重松先生は生物部の顧問として、熱心にご指導下さいました。八ヶ岳や南アルプスにも連れて行って下さいました。まずは、実物を見る。そして、飼育まで手掛ける。実証研究を徹底的に仕込まれたような覚えがあります。また、生物部では素晴らしい先輩、仲間とも巡り合うことができ、重松先生と並んで一生の宝ともなっています。


     
大きな思い出(その1)、南アルプス縦走
   塩見岳から望む荒川三山


 さて、生物部では、私が中学3年になったときに、初の試みであり、以後毎年開催されることになる南アルプス合宿という大行事に参加することになりました。テントまで持参しなければならず、何と30㎏の荷物を背負っての本格的山歩きです。まだ身体の出来上がっていない中学3年生には、30㎏は途方もない気の遠くなるような重量でしたが、それでも挑戦すると乗り越えることができたのですね! この南アルプス合宿には、重松先生のご配慮により生物部OBの大学生も応援に加わってくれましたが、このことも難度の高い山行を安全に実施できた大きな要因だったと思います。中高を通しての大きな思い出の一つです。
 東海道線を夜行で出発し、早朝、富士駅で身延線に乗り換え。身延駅からバスで約1時間半、早川中流の新倉(標高約500 m)で下車。ここから標高2020 mの転(伝)付峠(でんつくとうげ)を越えて合宿の基地となる大井川上流の二軒小屋(標高約1500 m)まで、丸一日重い荷物を背負っての峠越えはまさに「苦行」でした。当時の二軒小屋はこのようなアプローチ以外はないまさに秘境だったのです(かなり後になり大井川沿いに林道が拓かれました)。
 南アルプス合宿は、中学3年、高校1年、2年と3年間続けた後、高校3年は大学受験でお休みするも、大学入学後はOBとして、再び応援参加をしたのでした。

 勿論、山歩きを通して、高山植物を含むいろいろな植物に触れ合い、深山、高山の昆虫との出会いを実地に経験するというのが主題でした。座学も大切ですが、それだけでは本当の学習にはなりません。山歩きをしながら、実物と触れ合うことが如何に大切であるか、この南アルプス合宿が、典型的体験として深く身体に刻み込まれ、今日に至っています。


      
 
高校1年(1961年8月)の時の懐かしい写真です 最高峰の悪沢岳に向かう途中の千枚岳付近
 中央は引率の福岡先生。黒シャツはOBの橋本さん、あとは高1生(後列最左の学帽が田付)



     
     
悪沢岳山頂(標高3,141m) 中央の福岡先生を囲んで(前列右が田付)


 
インタビュアー注:千枚岳・悪沢岳と荒川岳について(ウィキペディアより引用)

 
荒川岳は別名荒川三山とも呼ばれる、いくつかのピークの集合体である。「三山」と呼ぶ場合は以下の3つを指す。
   • 前岳(荒川前岳) 標高3,068m
   • 中岳(荒川中岳) 標高3,084m
   • 悪沢岳(別名東岳または荒川東岳)標高3,141m、日本第6位の高さである。
  さらに、その東側に位置する以下の2つの小ピークも荒川岳の一部分である。
   • 丸山 標高3,032m
   • 千枚岳 標高2,880m
 荒川岳一帯には氷河によって削られた地形であるカール(圏谷)が数多く見られる。上部は森林限界のハイマツ帯で、非常に多くの高山植物が自生しライチョウの生息地となっている。
カールの中腹や底は、いずれも大規模な高山植物のお花畑となっており、特に中岳、前岳から荒川小屋に下る斜面では、規模の大きなお花畑の真ん中を登山道が通っているため、盛夏には花のじゅうたんに囲まれながらの登山を楽しむことができる。



 
蝶に魅せられて         
 一方、小学生の頃から、アゲハチョウやモンシロチョウなどを飼ったり、標本を作ったりしていましたが、中学に進学以降はますます蝶々の虜になってしまいました。高校2年生までは、勉強そっちのけで、蝶々ばかり追い求めていたのです。


 
蝶々は何がそれほど魅力的だったのでしょう?
 
私には、蝶が宝石よりも美しく思えたのです。
 どの昆虫よりも脆弱で標本づくりが難しいので、いっそう愛おしさが募ったのです。
 種によって、場所や時期、採り方が異なり、手に入れにくい種がたくさんいます。
 「だれそれが、どこそこで珍品を採った」
 「餌になる植物の入手法は?」
 など、仲間との競い合いや情報交換も楽しいものです。
 でも本当のところは、説明しがたい熱情なのかも知れません!
 中高生のうちにこのような「熱」を体験できたことは何にも代えられない貴重な財産になっています。



 
大きな思い出(その2)10㎞の ロードレースで連続優勝
 意外に思われる方も多いでしょうが、私は、高校1年と高校2年の時に、何と学校のロードレース大会で連続優勝をしているのです! 隠れた自慢話でもあります! 特に高校2年の時(1963年1月)は、最後まで、同期の磯崎君とデッドヒートを展開した結果、お互いに手を繋いで同着の優勝を共に味わうというすばらしい体験をしました。いつ思い出しても、笑みの零れる懐かしい高校時代の一コマです。


    
      
二人で先頭を争うデッドヒート(右が磯崎君、左が田付)


 
      
ゴール寸前を後ろから撮影(もう手をつないでいる!)


 ランニングに興味を持ったきっかけの一つは、生物部の合宿のために仲間と淡島通を走るトレーニングをしたことでした。ランニングはその後もずっと継続していて、じつは今でもOBのためのマスターズ陸上競技協会のメンバーとして競技にも参加しています。


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 3・大学・農学部・大学院      

 高校2年の時迄は、勉強そっちのけで蝶々ばかり追いかけていましたが、高校3年にあっては流石に大学入試のために頑張りました。生物を勉強できる環境を求めましたが、その目的を叶えるに相応しい東京大学理科Ⅱ類に進学することができました。1年の頑張りでどうにかなってくれたのですから、良き時代だったと云うことですね。

 
閑話休題1: 巻島先生と喜多先生から受けていた評価

 高2、高3のクラス担任をしていただいた物理の巻島先生からは、こんな風に激励されました。
 「田付君と上原君は、ま、1年浪人すれば何とかなるよ!」
 そして、東大合格発表の結果を報告した際には、先生はニコリともされず大まじめな表情でこうおっしゃったのです。
 「君、あそこに名前が出たら、もう大丈夫だよ!」
 一方、数学の喜多先生は、ある年の父兄成績懇談会で、私の成績低迷を心配する祖父に、成績表をご覧になりながらこんなふうに言ってくださったそうです。
 「田付君は、他の学科はともかく、生物ができていますから大丈夫ですよ!」
筑駒って、何とも何とも楽しくなる微笑ましい学校だったのですね! 今も伝統は受け継がれていることでしょうか?


 大学1年、2年と在籍する教養学部での第2外国語には、閑話休題1に登場の上原君(後に京都大学霊長類研究所教授;2004年没)と一緒に、ロシア語を選択しました。旧ソ連の生化学者であったオパーリン教授(1894-1980)の著作「生命の起源」に魅せられたからでもありました。当時、生化学界の先端を論じる「オパーリン学説」として、その世界を席巻していたのです。ロシア語を選択したことで、一段広い視野に立つことができた思いがしたものです。
 教養学部時代のクラス担任であった大関和雄先生が、たまたま昆虫学がご専門であったというのも、自分の人生には、昆虫に関わる生涯のレールが既に敷かれていたように思えてなりません。

 さて、教養学部を終え専門課程の選択に当たっては、昆虫の研究をすべく、理学部か農学部かと悩みましたが、大関先生や先輩からの助言をいただいて農学部に進みました。そして、4年の時に、希望どおり「害虫学研究室」に配属となり、その後の修士課程2年を加えて、計3年間、ここで、昆虫学の指導を受けることになったのです。
 害虫学研究室では、戦後間もない昭和24年から、初代教授の山崎輝男先生と石井(楢橋)敏夫先生によって、殺虫剤の作用機構について世界に先駆けた研究が進められていました。
第二次大戦後は、日本をはじめ、多くの国が深刻な食糧不足で、農作物の生産性を急速に上げる必要がありました。害虫を駆除するための技術開発は世界的にも重要な課題だったのです。
 私も、正野俊夫先生のご指導を受けて、チャバネゴキブリを相手にDDTの殺虫機構にかかわる研究を行いました。


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4.理化学研究所        

 
そうした折、研究室の大先輩に当たり、当時、殺虫剤の作用機構の分野で世界的な仕事をされていた深見順一先生が、理化学研究所(理研)におられました。修士課程終了後、私は運よく憧れの深見先生の研究室に採用していただくことができたのです。
 「さあ、これで殺虫剤の作用機構について、先端的な世界に関わることができる。頑張るぞー」期待に胸躍らせて理研に入ったのでしたが、深見先生は、何と予想外のことをおっしゃりました。


二化螟蛾の性フェロモン、生涯に亘る研究のスタート(1970年春)
 
「あんたは虫のアマチュアやからなあ、フェロモンをやりなさい」
 そんなこと言われても、ピンとくる筈がありませんでした。今にして思えば、昆虫少年にはロマンのあるフェロモンの研究が似合う とでも思われたのでしょうか。先生ご自身も、かつては昆虫少年でいらっしゃったからです。
 当時、日本のフェロモン研究は始まったばかりでした。専門分野の中でさえ、フェロモンという言葉がやっと定着してきた頃ですから、修士課程で別の勉強をしてきた若造には荷が重すぎます。直ぐには「はい」と言えませんでした。私の逡巡する姿を見ながら、先生は追い討ちをかけてきます。
 
日本の稲作にとって歴史的な大害虫である、二化螟蛾(ニカメイガ)という蛾のフェロモンをやりなさい」との命令口調でした。
 フェロモンだけでも大変なことなのに、当時、二化螟蛾のフェロモン研究は特に難しいと言われていました。ずぶの素人が、そんな難問に挑んだってうまくいきっこない。
 「別の昆虫で練習させて下さい」と申し出ると、
 
「二化螟蛾だから意味がある、他の虫ならやらんでよろしい」と取り付く島がありません。
 これでは、もうやるしかありませんでした。先生の計らいにより、技術系の若者数人とチームをつくり、ともかく始めたのでした。
 
40年にわたる生涯の研究テーマとなった、昆虫(二化螟蛾)の性フェロモンへの取り組みはこうしてスタートした訳です。そして悲喜こもごも、苦闘に次ぐ苦闘の連続が始まったのです。


ニカメイガの性フェロモン・化学構造の探求 
 昆虫の性フェロモンは、たいていは雌が出して同じ種の雄を誘引する働きがあります。このフェロモンの化学構造が解明されれば、合成したフェロモンを利用して害虫防除への道が開かれることになります。
 まずは、フェロモンを雌の体から取り出さなくてはなりません。
 ヘキサンなどの有機溶媒で抽出してだんだん精製していきますが、精製の過程でどこにフェロモンが存在しているかチェックしていく必要があります。そのためには、実験室の中で生きた雄の反応をみて判断することになります。
 一方、一匹の雌に含まれるフェロモンの量は極めて微量(数ナノグラム以下)なため、分析に必要な量のフェロモンを集めるには、膨大な数の雌が必要です。しかも、交尾するとフェロモンを造らなくなるため、未交尾でなければなりません。フェロモン界の草分けであった農業技術研究所の玉木佳男先生からは、「処女雌が5万匹必要」という気が遠くなりそうな助言をいただきました。
 しからば、処女雌を5万匹も集めるとなると、自分達で飼うしかありません。更に、羽化した蛾を放置しておけば交尾してしまうため、蛹(さなぎ)の時期に、雄、雌を仕分ける。これも大変な作業でした。
 そもそも、ニカメイガという蛾は飼育がとても厄介なことでも有名な虫でした。幸いにも、やっと合理的な人工飼育法が開発されたお陰で、ビンの中に籾(もみ)を入れ、芽を出させた
「芽だし」を餌にして飼う方法を採用できました。1週間ごとに餌を替えるのが一苦労でしたがチーム総出の人海戦術にて対応です。毎日の仕事の半分以上は虫飼いにかかったとも云える程でした。ビンをダーッと並べた様は壮観でしたね。しかし、病気になってしまうことも多くカビやウイルスの病気に感染してバタバタ死んでいく。時間をかけて育てながらも苦労の報われないことが何度もありました。


  


 流石に5万匹という途方に暮れるような数字にはなりませんでしたが、それでも1万5000匹の処女雌からの抽出物を使って、フェロモンに2つの成分があることを突き止めることができました。有機化学専門家の支援も受け、遂に2つのフェロモンの成分構造が推定できました。
苦節5年、1975年の秋のことです。あとは、推定した構造を実際に合成し、そこにフェロモンの活性が認められれば正式な成分構造の決定になります。もう一歩のところでした。
 
ところが、同じ年1975年の12月にとんでもないことが起こりました。
 イギリスのチームが「昆虫生理学雑誌」という国際誌に、「ニカメイガの雌性フェロモンの構造決定」という論文を発表したのです。そこには私たちが推定したのと全く同じ成分が報告されています。先を越されてしまったのです。ショックでしたねえ! みんな悔しいやらがっくりやらで、私は中耳炎まで引き起こしてしまいました。

 普通の研究チームなら即解散か、少なくともこの研究テーマは終わったことでしょう。
 しかし、深見先生は懐の深い寛容な方でした。
 
「やりかけたんだから、自分たちなりに最後までやれ」
 と言って下さいました。そうです。最後の合成後確認検証は未だでした。
 気を取り直して、私たちが推定したフェロモンの2つの成分、即ち、イギリスチームの報告にあるのと同じ2成分を合成し、フェロモンの活性を確認するためのフィールド試験を実施しました。ゴキブリ捕りみたいな粘着トラップの中に、合成したフェロモンを置いて、雄の成虫を誘引するという実験です。
 
ところが、ここで、面白い・・・というか困ったことが起こりました。

 確かに、2成分からなる合成フェロモンには雄が集まりはしたけれども、比較の為に置いた生きた処女雌のトラップの方に遥かにたくさんの雄が集まってきたのです。
 何回試しても、合成フェロモンには、処女雌の半分ほどしか集まらない。生きた処女雌の誘引力には敵わないのです。
 この点に関して、イギリスチームの論文にはやや疑義が感じられました。合成フェロモンにも処女雌に匹敵する誘引性があったとの記述はあっても、数値的立証データもなく、やり方も公表されていなかったからです。
 
これはおかしい! 2成分では足りない? まだ隠れた成分があるのでは?
 そう考えて、深見先生に相談すると、
 
そうかも知れんから、やってみなさい」
 再び、猶予をいただいての研究続行です。
 
そして、1982年、遂に第3成分(Z-9-ヘキサデセナール)を発見するに至りました。
 3つの成分を合成して、フェロモントラップを仕掛けると、今度は面白いように雄が集まってきます。生きた処女雌よりも、遥かにたくさんの雄を引き付けるではありませんか!
第一段階ではイギリスチームに遅れをとったものの、本当の意味で逆転大勝利となったのです。また、分析器の性能向上と抽出技術の上達から、この時のフェロモン成分構造決定には、僅かに2000匹の処女雌からのフェロモン抽出で済みました。
 その後の国際会議でイギリスチームと出会いましたが、「お前たちのやり方が正しかった」と潔く成果を認めてくれました。
 
2成分を発見した1975年から数えること7年、1970年のスタートからは12年の歳月が流れていました。

 
インタビュアー注:功績に対し「応用動物昆虫学会」から学会賞授与
 「ニカメイガ」に係る3成分フェロモン発見の功績に対し、1985年「応用動物昆虫学会」から、田付氏に学会賞が授与されました。「ニカメイガ」が、それだけ日本の稲作にとって重要な害虫だったということの証でもあります。



 今日、「ニカメイガ」対策として、3成分の合成フェロモンが世界中で使われています。特に、殺虫剤散布が好ましくない環境では、合成フェロモンこそが安全な害虫駆除法ともなっています。
 振り返ってみれば、深見先生が「ニカメイガのフェロモンをやれ」と言われたのは、殺虫剤を含む合成農薬のマイナス面が顕在化して、環境問題が浮上してきた時期。1960年代の後半、農薬残留による悪影響、殺虫剤が効かなくなる害虫の抵抗性の問題が起こってきた頃でした。
 深見先生は、殺虫剤の作用機構の権威ではありましたが、より大きなテーマは「選択性」だったのです。
薬剤を目的の害虫だけに効かせ、脊椎動物など他の生物には効かないで欲しいとの考えが根本にあります。それが「選択性」です。
 殺虫剤の選択性を高めると同時に、殺虫剤それだけでは限界があるからホルモンやフェロモンを視野に入れて広く選択性害虫防除剤を研究開発する、という大きなスケールのテーマを深見先生はお持ちだったのです。
 フェロモンやホルモンはもともと選択性の高い化学物質です。昆虫ホルモンは昆虫にしか効かないし、フェロモンになるとニカメイガならニカメイガという種にしか効かない。他の虫には影響がない。つまり、究極の選択性があると云えます。
 そうしたことまで見通して、深見先生は私にフェロモン研究というテーマを与えて下さったものと、今になるとそう思えてなりません。


閑話休題2:総合的病害虫管理(IPM:Integrated Pest(害虫の意)Management)とは
 1970年代から、総合的病害虫管理という考え方が生まれてきました。殺虫剤だけではなく、フェロモンや天敵、光や音など、害虫の性質をよく観察し、最適な組み合わせを採用して防除する手法です。IPMでは、害虫も生態系の中で重要な役割を果たしている、という見方をします。
 全滅させれば、その天敵も困る。生態系のバランスが保てなくなる。だから根絶ではなく、経済的に問題ないレベルに押さえ込もうという概念です。それで管理という言葉を使っている訳です。
 昆虫だけでなく、植物も動物も微生物も含めて、濃い薄いはあるけれど、生き物はすべて関連し合っている、ネットワークなのです。その連鎖の中からいくつもの要素を抜くと、生態系のバランスが崩れてしまう。天敵がいなくなれば、新たな害虫が入り込んで大発生をしたりします。現在の都市部や殺虫剤一辺倒の田畑では、重要な要素がいっぱい抜けてしまっています。非常に危惧しているところです。



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  5.筑波大学・東京大学で教鞭・そして退官後 

 1970年から1982年迄の12年間は、理化学研究所で「ニカメイガ」のフェロモン研究に明け暮れましたが、最後には3つのフェロモン成分を発見し、我慢強く見守って下さった深見先生の信頼にやっと応えることができました。一つの区切りを果たしたことから、1982年に筑波大学農林学系助教授として転出し、1989年迄の7年間教鞭をとりました。そして、古巣に戻り、東京大学農学部助教授を経て、1993年には東京大学大学院農学生命科学研究科教授となりました。
 2009年迄奉職し、63歳で卒業となった次第です。
 退職時には、その後の「ニカメイガ」に係る私たちの研究成果も含めて、日本のニカメイガ研究史をまとめた「ニカメイガ-日本の応用昆虫学」なる書物を2009年に東大出版会から刊行して貰うこともできました。この本は日本の昆虫生態学を牽引してこられた桐谷圭治先生をはじめ、日本のニカメイガ研究をリードされた方々のお力添えによって刊行が実現しました。



              


 東京大学退職後は、関東学園大学、法政大学等々で生物学や昆虫学に係る教鞭をとってきましたが、現在は、帝京科学大学非常勤講師として昆虫学の講義を受け持っています。山梨県上野原市のキャンパスでの15回講義のうち、必ず1回は90分の昆虫採集の実習を取り入れています。自分がまだ中高生だった頃、南アルプス合宿で体験したように、何と言っても実際に自分の目で物を見て確かめることが大事だと思うからです。観察がスタートになければ何事も始まりません。この実習は、学生からもとても良い評価を受けています。


 
閑話休題3:アルゼンチンアリとの付き合い

           

 
ニカメイガとの不思議な縁で、東大を退職する6年前(2002年12月)に、アルゼンチンアリとの付き合いが始まりました。名前のとおりこのアリの原産地は南米ですが、150年ほど前から世界中に分布が広がっている、わずか2ミリほどの小さなアリです。原産地ではさほど増えないのに、侵入地ではしばしば爆発的に増えるので侵略的外来アリと云われています。また、
普通のアリでは巣ごとに異なるコロニーが形成され、巣が違うと敵対するのに対し、アルゼンチンアリでは1地域で多数の巣が1つのコロニーのように振る舞う「スーパーコロニー」を形成するので、侵入地では駆除が極めて厄介なアリになります。

 日本でも1993年に定着が確認されましたが、その後10年ほどの間に徐々に大発生するようになり、広島県や山口県で大問題となりました。何とか駆除する手立てはないものかと、東大の研究室に問い合わせが入ったのが2002年12月のことでした。
 すぐにピンとひらめきましたね。ニカメイガのフェロモンが使えるのではないか・・・と。
というのも、アルゼンチンアリの道しるべフェロモン(Trail Pheromone:アリの行列をうながすフェロモン)の成分は、既にオーストラリアで解明されており、なんと私たちが解明したニカメイガ性フェロモンの第3成分(Z-9-ヘキサデセナール)そのものであることを知っていたからです。このアイデアを講師でアリ学者の寺山守先生に話すと、「面白い!」となって、さっそく一緒に現地の山口県岩国市に飛びました。
 岩国市の多発地帯にある自治会の絶大なる協力を得て、数年かかりはしましたが、私たちのアイデアが実際に使えることを示す確かな成果を手にすることができました。アリ退治には通常毒餌剤(ベイト剤)を使いますが、アルゼンチンアリの場合はこれだけで効果的な防除をするのは難しい。そこに件のフェロモン剤を組み込むと、確かに効果が高まることが確認されたのです。試行錯誤が続き、思った以上に難儀はしましたが、自治会の方々の私たちに対する温かい支援のお陰で難題を克服することができ、今でもその恩義を忘れることはできません。

 岩国での成果を手にした直後に、東大の院生が、横浜港において東日本では初めてとなるアルゼンチンアリを発見しました。この個体群は生息範囲が一つの埠頭だけに限定されていたので、うまくすると根絶も可能ではないかと考えられました。そこで2008年から岩国の成果を応用したところ、効果は絶大で2年目にはアリが激減し、以後はほとんど姿が見られない状態が続いています。近く最終的な生息調査を実施して根絶宣言をしたいと思っています。

 まだまだ油断はなりません、最近では、やはり南米原産のヒアリ(Fire Ant)なる毒針をもったアリが世界中に広がりつつあり、台湾には既に侵入してきています。これも要注意ですね!


 
インタビュアー注:「日本農学賞」と「読売農学賞」の授与
 
田付さんのこうした一連のフェロモンに関する研究に対して、2012年春には、「日本農学賞」と「読売農学賞」が授与されました。どこまでも、「ニカメイガ」が田付さんを導いてくれているようです。


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 6・後輩に贈るメッセージ     

 今は余りにも情報が溢れすぎています。たいていのことはマニュアルどおりにすればできてしまう。しかし、研究でもものつくりでも新たなものを生み出そうとするとき、創造力は勿論大事なことですが、その前に想像力が働かなければ何もできません。一番大元に想像力があるのではないでしょうか。ですから、特に若い世代の人たちには想像力の欠如があってはならないと常々思うのです。

 
是非、想像力を大事にして欲しい。
 大げさに聞こえるかもしれませんが、想像力は世界平和にとってもきわめて重要だと思っています。「戦争の本質は人を殺すことにある」ということは容易に想像できるでしょう。次に戦争をする相手も(たとえ鬼畜と呼びたい気持ちがあっても)、「やはり一人一人の人間である」と思いやれる想像力を養うこともできるはずです。そして、その際の「想像力」はグローバルである必要があります。リーダーを目指せる筑駒の後輩はぜひこのようなことも考えていただけたらと願っています。
 最後に、また昆虫の話に戻ります。驚かれるかと思いますが、すべての動物の種類の7割以上が昆虫なんですよ。生き物の悠久の歴史からすれば、私たちヒトは、ごくごく最近になって昆虫と大幅に活動範囲を共有するようになった、新参の動物ということにもなるのです。ですから、
 
人間、奢ったら、おしまいです。

 今、ヒトと自然とのかかわりが意識され、誰もが危機感をもっている。可能な限り、生態系本来の機能が果たせるように、もっと謙虚にならなければヒトの足元も揺らぎます。


 
          
蝶も蛾もいずれも美しいではありませんか


              
[完]


              
筑波大学附属駒場中高等学校12期生 田付貞洋

                                        以上

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